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心理学ワールド 85号 特集 保育現場が心理学に期待すること 宮里 暁美(お茶の水女子大学) | 日本心理学会

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Academic year: 2021

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17 保育と心理学 はじめに  「新しい出会い」には,いつも心惹かれる。 今回,『保育領域と心理学領域の関係をさまざ まなテーマから見つめ直し,互いに貢献できそ うなことなどについて発展的に考察する』と いう企画による原稿依頼に対して興味をもち, 「何を語ろう」という明確なイメージはないの にもかかわらず,原稿依頼をお引き受けしたの も,それが「新しい出会い」を連れてくるよう に思ったからだ。「新しい出会い」に心惹かれ る,という思いは,私が現在,認定こども園の 運営に関わっていることと関係がある。  認定こども園とは,幼稚園,保育園に次ぐ第 三の乳幼児教育施設であり,幼稚園と保育園の 機能を併せ持つ新しい可能性の追究だと私は考 えている。  保育園と幼稚園は,乳幼児期の保育・教育を 行うということにおいて共通だが,その成り立 ちにおいては福祉と教育という違いがあった。 管轄の省が違うことから,共通性よりも独自性 のほうが強調されてきたように思う。そこに, 子ども子育て支援新制度が導入され,保護者の 就労の有無にかかわらず受けたい教育が受けら れるシステムとして認定こども園が登場したこ とで,大きな変革が起こった。  幼稚園と保育園の共通性が強調され,合同の 研究会や語り合いの場も増えてきている。翻っ て考えてみれば,保育園も幼稚園も乳幼児のよ りよい育ちを支えているのであり,共通に考え合 い,よりよい乳幼児教育の在り方を協力して確立 していくことに何も迷いはないはずなのである。  心理学領域と保育領域の関係を,保育園と幼 稚園の関係に置き換えるのは,乱暴なようにも 思えるが,あえて置き換えて考えてみたい。心 理学領域と保育領域は,人間(子ども)を相手 にする,という意味では共通しているが,違い のほうが目立っているのだろうか? 現状はど うなのだろうか? 人間を相手にし,深い洞察 に価値を置いていることに共通項があるが,一 方で,違いも歴然としてあるように思う。  心理学領域は,心と行動の学問であり,科学 的な手法によって研究され,そのアプローチと しては,行動主義のように行動や認知を客観的 に観察しようとするものと,主観的な内面的な 経験を理論的な基礎におくものとがあるとされ ている。  一方,保育領域は,「多面的・多層的ないと なみについて, 様々な角度からの学術的アプ ローチによって問いを立て検討していく,学際 的な学問領域」1であり,学問領域としての歴 史は心理学ほどに古くはない。保育者の実践知 に軸足を置いた学問領域だと考える。  それぞれの領域にはそれぞれの価値と可能性 がある。それを合わせていくことで新しい地平 が見えてくるのだろうか。この企画の中で可能 性が見えてくることを願ってやまない。可能性 を探すため日々子どもの中にいて,そこから学 んでいる私自身の体験や思いを語ることからス タートしようと思う。それは「わからない」と いう言葉がポイントとなっている体験である。

保育現場が心理学に

期待すること

お茶の水女子大学人間発達教育科学研究所 教授

宮里暁美

(みやさと あけみ) Profile─宮里暁美 国公立幼稚園教諭,お茶の水女子大学附属幼稚園副園長,十文字学園女子大学幼 児教育学科教授を経て,2016年4月より現職。文京区立お茶の水女子大学こども 園園長,田園調布学園大学大学院非常勤講師を兼任。専門は保育学。著書は『子どもたちの四季:小さな子をも つあなたへ伝えたい大切なこと』(主婦の友社),『0-5歳児 子どもの「やりたい!」が発揮される保育環境』(監 修,学研プラス),『子どもからはじまる保育の世界』(共著,北陽出版)など。

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18 土を触るという行為は,ただの土いじりではな く,Sさんになっているつもり,憧れの人のま ねをしている姿だということだった。  1枚の写真をめぐって,よく見ていなければ わからない子どもの状況を嬉々として語る先生 たちの顔を見ながら,私はこのこども園に勤務 できた喜びを感じていた。開園当初の忙しさの 中で,保育を振り返る暇も無くよりよい保育を 実現できないのではないか,と悲観していた私 は,一枚の写真に写っている子どもの姿のわけ を教えてもらい,目が覚める思いになった。そ うか,そうだったのか,と。 子どもを見る,ということ  この出来事は私の心に深く残った。保育を 振り返る時間が十分にとれないという中でも, しっかり子どもを見ていく姿勢さえあれば,子 どもの心の願いが見えてくるということに気づ かされたのだ。そして私の中に次の言葉が浮か んだ。  「子どもの行為のわけに気づく語り合いは, 子どもをもっとよく見ようという思いへと向か わせる」。それは保育者に保育する喜びをもた らし,保育の質向上につながる重要な視点だと 考えたのだ。  私は,この大切な思いを,園内で,また園外 で講演を行う際にもよく口にした。しかし,あ る時,気づいた。「子どもの行為のわけに気づ く」では,適当とは言えない。「気づく」とし てしまうと,わけを解明することが目的になっ てしまう恐れがある。しかし,「わけ」は,そ う簡単にわからないだろう。いろいろな理解の 可能性は出たとしても,一つにはなかなか決め られない。一つに決めることにそれほどの意味 もないのではないか,そうも思えてきた。  そうなると,「気づく」よりも「考えようと する」「わかろうとする」という方向性の言葉 がより望ましいように思えてきた。  「気づく」や「わかる」ではなく,こうか, ああか,と「考える」こと,「わかろうとする」 ことが大事なのである。こうか,ああか,と考 えている時,保育者は子どもをよく見るように 「わからない」という状況につきあうという こと  保育という営みは,「わからない」という状 況に向き合い,根気よくつきあうことの中にあ ると考える。私は2016年4月より,新設の認定 こども園の園長をしているが,その園の開園 間もない頃に,印象的な出来事があった。保護 者会で保護者に見せる写真を探していて目に留 まった,2歳の子どもが土を触っている1枚の 写真(写真1)だった。  私は,この写真を見て,「土いじりって,2 歳児も好きなのね」と感想を言った。それは何 気ない一言だった。しかし,この一言に対して 思いもかけない言葉が返ってきたのだ。  「そうじゃないのよ。ただの土いじりではな い。この写真は,あこがれの人のまねをしてい るところなのよ」と。  私は驚いて聞き返した。「え?あこがれの 人って何?」と。すると,次のような答えが 返ってきた。  「この子たちはね,Sさんのまねをしてるん ですよ」。その答えの意味を説明すると以下の ようになる。  開園間もない園の園庭の植え込みには,笹竹 がびっしりと生えていた。このままだと花も育 たないということで,用務主事のSさんが熱心 に笹竹抜きをしてくれていた。なかなか抜けな い笹竹に対してひ るまず挑むSさん の姿を一番見てい たのが,2歳児た ちだった。子ども たちは,保育室の 窓からよく見てい て,園庭に出ると Sさんの周りに集 まった。そして, いつしか「Sさん や る 」 と 言 っ て シャベルを持って くるようになった という。だから, 写真 1 土を触る

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19 保育と心理学 なる。見ていく中で,わかることも広がり,同 時になぞも広がる。そこでまた考え,関わり, また考える。保育とは,そのような積み重ねの 中にある。だからこそ,「子どもの行為のわけ を考え合う語り合いは,子どもをもっとよく見 ようという思いへと向かわせる」に意味がある と考えた。 理解できないことの中にある積極的な意味  「保育学」を学問として樹立することに貢献 した津守真は,子どもの傍らに身を置きながら, そこで展開していることについて深く省察し続 けた。津守の言葉に「日々の生活の中で,子ど もは表現し,私は理解する。そして,その理解 に従って私は行為する。しかし,完全に理解し てからはじめるのではない。私共は子どもとの 生活の中に投げ込まれている。そこでは,私に 理解できないゆえに否定するのではなく,むし ろ理解できないことの中に隠された意味がある ことを知って,肯定的に受け止めて交わりを継 続する。ともに生きる生活において,理解でき ないことに積極的意味があるのを知ることが, 相手をも自分をもよりよく生かす。」2がある。  津守の言葉は,子どもと過ごす状況の秘密を 鮮やかに解き明かしている。私が子どもと過ご し,そこから学びを得ようとしているときの基 盤に,津守の言葉がある。  「ともに生きる生活において,理解できない ことに積極的意味があるのを知ることが,相手 をも自分をもよりよく生かす」という言葉は, 子どもが生き生きと育つ保育の根源に関わって いる。「理解できない」という事態の受け止め 方によって,保育が変わってしまうのである。  「理解できないこと」に積極的意味があると 思わず,それは許されないことと考えていたと したらどうだろうか。そうなるとできるだけ早 く「理解できる」状態になりたくなり,「理解 できた」つもりになってしまう可能性がある。 ところが,保育者が「子どもはこうだ」と理解 してしまったら(決めてしまったら),保育者 はその捉え方でしか子どもを見られなくなって しまう。大きな危険性があるのである。  津守が言うように「理解できない(わからな い)ことに意味がある」と感じていれば,その 状態を大切に受け止めながら,目の前のその子 どもとの関わりを継続させるだろう。それが 「ともに生きる」生活なのである。私は,津守 の言葉の根本にあるのが「わからない」という 状態へのプラスの意識だと考える。そして,そ の状態を保ち続けるところに,あるべき保育者 の姿勢を見るのである。 あるエピソードから 「わからない」という思いを抱えながら子ども と過ごした保育のあるエピソードを,以下に紹 介する。  A 児(5 歳児)のお化けちゃんの絵  発熱のため園を早退することになったA ちゃんの話である。Aちゃんは,保護者が 迎えに来るのを待つ間に1枚の絵を描いた。 屋根が壊れていて,その屋根の上にはクマ ちゃんがいて,屋根を直しているというよ うな絵だった。家の中には調度品が描かれ ているけれど,誰もいなくてがらんどうの イメージだった。その子が翌日,具合がよ くなって登園してきたときに持ってきたも が図1の上の絵である。  絵を見ながらAちゃんは以下のような話 をした。  『ある日クマちゃんが屋根の穴を直してい たら,急に雨が降ってきたら,お化けちゃ んが来て,それで傘をくれた。それで傘を 伸ばした。それでもクマちゃんはびしょぬ れ。そして,それで下にいるお化けちゃん たちは洗濯したり,干したり,洗濯機で回 したり,はしごを登ったり,こうやって温 めたり,クマちゃん,寒いから温めました。』  Aちゃんはもう一枚絵を描いてきた。そ の絵には地下室が描かれていた(図1下)。 階段を降りると地下室があり,そこにもお 化けちゃんがいて,機械に薬を塗ったり, 機械が壊れていないか調べたりしていた。 保育現場が心理学に期待すること

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20 エピソードから考えたこと  お化けちゃんの絵を描いたA児は,気持ち を立て直すことが苦手で,みんなの動きに加わ ろうとしなかったり,気持ちがうまく伝えられ ないと泣き続けたりすることがある子どもだっ た。そのA児が,少しずつ変わり始めていた ころの絵である。  頭が痛かったA児は,屋根が壊れている家の 絵を描き,母親が迎えにきて家でゆっくり過ご した後に,あらゆる悩みごとを解決してくれる お化けちゃんで家をいっぱいにした。自分で考 えた「お助けお化けちゃん」のことを話してい るA児はとてもうれしそうだった。「何があっ ても大丈夫」というイメージを繰り返し自分に 話しているように思えた。  A児がこの絵を描いて少ししたころに,ある 出来事があった。運動会が近く,学級全体でリ レーに取り組むことになったが,A児は加わろ うとせず,座り込んだままだった。このように なることは予想できたのでそのままにしておい た。するとしばらくして自分から「入れて」と 言って仲間に加わってきた。そしてすごい速さ で走り通した。「Aちゃん,はやい」と友達か らも認められる速さだった。  私がその姿を見て驚いていると,「どうして 初めは走らなかったかっていうと,力をためて いたんだ」と教えてくれた。力をためるという 言葉がA児の口から出た時,私はA児が描い た絵のことを思い起こした。地下室で大きな機 械が動き,何かを作り出している絵だ。その絵 には「力をためている」というイメージがこめ られているように思えた。  A児は,この後もいろいろな絵を描いてい る。いろいろに揺れながら育っていると感じさ せられるA児を理解する入り口の一つに「絵」 があるのではないか,と感じている。 おわりに  保育の中に身を置いていると日々新しい物語 と出会う。目の前で起こることに応じる日々が 保育の日々である。その日々の中で,子どもの 中にも保育者の中にも何かがため込まれてい く。それは何なのだろうか。問いは次々に生ま れる。そして思う。重要なのは問いを持つこと であり,問いへの向き合い方だろうと。  私たちが見出した「子どもの行為のわけを考 え合おうとする語り合いは子どもをもっとよく 見ようという思いへと向かわせる」という言葉 をもう一度見ていこう。「子どもの行為のわけ を考え合おうとする語り合い」において,私た ちは明確な答えを早く確実に手に入れることを 目標にしなかった。さまざまな見方を出し合い 省察した。どこまでも可能性をひろげるという 在り方で。それにより「子どもをもっとよく見 ようという思い」が生まれ「よく見る」という ことが出てきたのだと思う。  私が他領域の方々との出会いに心惹かれるの は,可能性の広がりを予感するからである。心 理学の扉から保育の中の小さなエピソードを見 たら,どのような見え方がするのだろうか。その 話を聞きたいと思う。ゆっくりとした語り合いの 中で,何かが重なり何かが広がればいいと思う。 1 『保育学講座① 保育学とは 問いと成り立ち』日本 保育学会編 p.1. 2 『子どもの世界をどう見るか:行為とその意味』津守 真 NHK ブックス p.9. 図 1 A 児の描いた絵

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